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  新台湾人とは何か - 台北駐日経済文化代表処 Taipei Economic and Cultural Representative Office in Japan 跳到主要內容區塊 :::
主要ニュース
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新台湾人とは何か

李登輝総統の語る「新台湾人」の理念
国民に新たなコンセンサス確立を呼びかける

 李登輝総統は一九九八年十月二十四日、台湾光復節の前日に「光復(祖国復帰)五十三周年記念談話」を発表し、そのなかで「新台湾人」としてのコンセンサスを凝集し、不撓不屈の「台湾精神」を発揮し、子孫の将来のため光明ある前途を創造しようと呼びかけた。以下はその全文である。

 本日は台湾光復五十三周年記念日の前夜であり、私はとくにこの機会を借り、全国の同胞に挨拶するとともに、皆さんがこの五十三年間、台湾の進歩と発展のために努力し、貢献されてきたことに、感謝の意を表明します。

 台湾光復は、台湾について言えば運命の変わった日であるばかりでなく、新たな歴史の始まった日でもあります。なぜなら、この日があってこそ、台湾と澎湖島が日本の植民地統治を終え光栄ある中華民国の版図に復帰できたのであり、この日があってこそ、台湾住民が非情の歳月を脱し、自主新生の道路を邁進することができ、この日があってこそ、台湾が共産主義の汚染を受けない浄土として、中国の将来の発展を示す台湾経験を打ち立てることができたからであります。このことは、今日われわれが台湾光復節を記念するのに、深く認識しなければならない歴史的意義であります。

 五十三年来、台湾におけるわれわれの努力と行動は、経済の繁栄、政治の民主化、社会の開放といった豊富な成果をもたらし、それらは国際社会が一致して評価するところとなっております。これは決して一個人あるいは一グループの功労ではなく、この土地に住むすべての人々が汗と涙を流し、艱難辛苦に耐え、共に手を取り合い、共同で困難を克服し、奮闘してきた結果であります。

 実際において、台湾発展の歴史的過程を回顧すれば、もちろん渡来した時期が先であれ後であれ、すべての人々が台湾の発展に等しく顕著な貢献をしてきております。昔から台湾は海上に孤立し、開発困難な地でありましたが、先住民同胞が早くからここにおいて絢爛たる文化を創出し、明・清代には大陸沿海の住民が続々と危険を冒して海峡を渡り、台湾を開拓し、開発の基礎を築きました。一九四九年には大陸に大きな変動があり、多くの軍民同胞が政府にしたがって台湾に至り、台湾の発展に多元的で新たな活力を注入しました。このように台湾発展の成果は、無数の先人の知恵を累積し、すべての人々の力を融合し、培われてきた心血の結晶なのであります。

 本日、この土地で共に成長し、生きてきたわれわれは、先住民はもちろん、数百年前あるいは数十年前に来たかを問わず、すべてが台湾人であり、同時にすべてが台湾の真の主人であります。われわれはこれまで、台湾の発展に栄えある貢献をしてきましたが、同時に将来における台湾の前途に共同責任を負っています。いかにして台湾に対する愛惜の念を具体的な行動としてあらわし、台湾のさらなる発展を切り開いていくかは、われわれ一人ひとりが「新台湾人」としての、他に転嫁できない使命であります。同時に、われわれが後代の子孫のために輝かしい未来図を創造することも、背負わなければならない責任であります。

 台湾は五十三年にわたる奮闘の過程において、すでに歴史の陰影から脱却し、活力ある新たな機運を打ち立てました。今日、将来の新世紀を迎えるにあたり、われわれは政府と全国民の心と力を結集し、全面的に民主の理念を具現するとともに社会正義を具体化し、経済成長の繁栄を持続し、長期にわたる安寧と永続的な発展を保持した社会を打ち立て、国家の世紀に跨がる発展の歴史の大業を完成させなければなりません。

 親愛なる皆さん、台湾は一つの共同体であり、われわれはこの台湾の地に暮らし、この台湾の地で働き、将来の発展もまたこの台湾の地にあります。したがって、われわれが「新台湾人」としてのコンセンサスを継続して結集してこそ、われわれのために、またわれわれの子孫のために、光明に満ちた大台湾の遠大なる青写真を描くことができるのです。共に努力をしましょう。(完)                  
《台北『中央日報』98年10月25日》

は じ め に 

 民主改革の推進がさらに深まり、強化されていくにしたがい、台湾住民の生命共同体としてのアイデンティティはさらに高いレベルに達してきた。そこで李登輝総統はあらためてその政治理念を推進するため、台湾の将来に向けた「新台湾人主義」の理念について論述した。

 一九九八年十月二十四日、台湾光復(祖国復帰)五十三周年記念の前夜、李登輝総統は「新台湾人」の使命という重要な談話を発表し、そのなかで「新台湾人」のアイデンティティを凝集し、失敗を恐れず困難を厭わない「台湾精神」を発揮し、後世の子孫のために光明ある前途を創造しようと強調した。李登輝総統が台湾光復の特別な記念日を前に、三年前に示した「新台湾人」の概念をあらためて提示したのは、決して偶然ではなく、国を治める総体的な根本となる思想が成熟したことを象徴していよう。

 一九九八年十二月五日に投開票された「トリプル選挙」(立法委員、台北・高雄市長、台北・高雄市議選挙)で、李登輝総統はその選挙活動の最終段階において「新台湾人」について論述し、国民党候補者への強力な支援となした。選挙結果はこの「新台湾人」の理念が、すでに社会に確実に受け入れられていることを証明した。台北市長選挙で過半数の得票率を得て当選した国民党公認の馬英九氏も、選挙後「私の当選は李総統の『新台湾人』の理念が、選挙民の共感と支持を得たことを証明するものである」と語っていた。

 実際において、何度か省籍の違いによる矛盾(本省人と外省人の対立)からくる抗争のなかに身を置いてきた李登輝総統は、早くから省籍や出身背景の違いによる対立を根本的に氷解させなければならないと思うようになっていた。三年前、李登輝総統は淡江大学開校記念日の式典に出席したとき、そこでの記念講演で「今日この土地で生活している人はすべて、台湾経験を創造した新台湾人である」と述べ、さらに論を進め「今日われわれが樹立しようとしているのは、決して封建的や地方主義的な地域共同体ではなく、近代的で民主化され、人々が社会意識を持った地域共同体である。地域共同体意識の形成は、民主政治と地方自治の確実な具現を前提としており、そうでなければ実質的な民主社会も発展させることはできない」と強調した。

 李登輝総統は、民主的な手段を用いることによってのみ、省籍や出身背景の違いによる問題を解決できると強く認識している。李総統の強調する「新台湾人」の意識こそ、新たな時代の「台湾精神」となるものであり、台湾の前途を明確に導く理念なのである。


歴史の終結と開始

 一九九〇年代の初期に行政院大陸委員会と海峡交流基金会が相次いで設立され、国家統一綱領が公布され、国会の全面的改選が確定し、動員戡乱(反乱平定)時期の終結が宣言され、これによって旧時代の政治構造が台湾社会に作り出した省籍の違いによる壁が急速に氷解されるところとなった。一九九二年末、李登輝総統は南部を視察したおり、国民全体が「生命共同体」の認識を持ち、省籍の違いからくる感情を捨てるべきだと指摘した。

 民主改革の進展に合わせ、その翌年四月、第二期国民大会第三回臨時大会の開幕式において李登輝総統は「歴史の始まり」と題する講演をおこない、自信を持って「今日、台湾における二千万同胞は、すでに一つの新たな生命共同体を形成した」と語った。五月の就任三周年記念記者会見でも、総統は「生命共同体」を中心とする理念を明示した。さらにこの数カ月後におこなわれた国民党第十四回全国代表大会においても、再度「今日、われわれは台湾地区において達成した社会改革と精神の充実により、数千年来の封建的思想と社会体制を打破した。これは一つの歴史の新たな始まりである」と強調し、異なる省籍、異なる地域出身の同志同胞は、「一つの強固な生命共同体のもとに結集しなければならない」と呼びかけた。

 これらの発言は、社会の現実に十分符合したものである。ここ数年の各種世論調査の結果は、自分自身を「台湾人」と認識し、あるいは「台湾人」であることを否定しない人がますます増加していることを証明しており、これは人々の意識のよりどころが省籍によるものではなく、現実的な生活の場を起点とするようになったことを明示している。一九四五年から四九年にかけて新たな移住民が台湾に渡来したが、その二世、三世の人々で自分を「台湾人」と認識する人もますます増えてきている。北京もまた台湾内部の区別を考慮せず、台湾の二千百八十万の住民を一括して台湾住民と見なし、大陸に投資している「台湾企業」も、一律に特別法による規範で処理しているのである。二千百八十万同胞が歴史の試練を経て自然に形成した「台湾アイデンティティ」の意識は、現実の生活における客観的情勢と実質面より生じた必然的な現象なのである。

 このような時期、一九九五年から九六年三月にかけ、北京は台湾住民の感情を理解せず、李登輝総統の米国の母校訪問およびわが国の第一回総統直接選挙に関連してミサイル実射訓練と軍事演習を波状的におこない、地域の極度の緊張を惹起したばかりか、台湾二千百八十万同胞に台湾・澎湖・金門・馬祖は中国大陸とは異なった一つの生命共同体であることをいっそう強く認識させた。これは偶然というよりも必然的な進展であり、外的要因もまた台湾社会にあった省籍による矛盾を解消させる良好な変化をうながすという微妙な影響を及ぼしているのである。

 こうした進展は、北京当局が両岸交流や経済貿易関係を通して台湾住民の大中国「民族主義」へのアイデンティティを強化するという当初の意図とは異なるものとなっている。江沢民は中国共産党第十四回大会において「光栄ある愛国主義を備えた台湾同胞に期待する」などと言っていたが、これがいかに非現実的なものになっているかは明らかである。

 つまり李登輝総統の唱導する「新台湾人主義」とは、現実の客観的情勢を基礎とし、それを理論として発展させたものとなっているのである。


移民社会の歴史的性格

 台湾は一つの移民社会として、早くから現在とは異なる出身地別の問題を抱えてきた。いわゆる先住民と漢人の対峙、(水+章)州出身者と泉州出身者の抗争、(門+虫)南人と客家人の紛争で、それらは早期移民社会の土地争奪の争いを物語っている。しかし、日本植民政権の出現により、こうした出身地の違による立場からもたらされた分類はしだいに消滅していった。それに取って代わったのが、もとから台湾に住んでいた住民と外来異民族との相違であり、それは一九四五年の台湾の祖国復帰までつづいた。

 ところが一九四七年に「二・二八事件」が発生してからは、省籍問題(本省人と外省人の対立)と出身背景の相違による対立が新たなかたちで生じ、長期にわたって台湾社会の融和と発展を阻害してきた。だがこの四、五十年来、社会での自然的な婚姻、交友や仕事の関係、さらに行政における民主改革などにより、これら歴史的に蓄積された問題は、緩和への状況に向かうようになってきた。

 しかし今日なお、省籍や出身背景による問題はしだいに緩和されてきたとはいえ、政局の変化や選挙のたびに政治的な色合いを持って大きく表面化し、人々の関心も呼び、民主政治運営のなかにおける特異な現象を形成するところとなっている。野党勢力は政治的にそこが比較的特殊な地域なら、さまざまな方法をもって出身背景の相違を利用した動員をかけ、旧社会の観念をもって新社会に相対しようとする。だが幸いなことに、そうした政治的風土は特定の地域に限定され、普遍的な社会現象とはなっていない。

 前述のような状況は、中華民国の国家としてのアイデンティティの形成に障害をもたらし、出身背景の相違による線引きを人為的におこなおうとするものであり、政治の分野に敵味方の性質を持った対立を生じさせるものである。いわゆる「統一派」と「独立派」の抗争、それに大陸政策や外交政策における立場の異なる人々の激しい対立などは、前述の状況を主軸として展開されているのである。

 こうした争いは中華民国の生存と発展、それに台湾の前途にとって百害あって一利なしというものである。だから場合によっては、中華民国が存在している土地である台湾の主体性を無条件で認め、中華民国の発展は台湾を最優先に考えなければならないのである。こうした無意味な抗争は、どこまでいっても出身背景の相違による問題を人々の論争の焦点とさせてしまい、またそうした論争や両極端に立つ人々は、中華民国の防衛や台湾の前途のあり方まで対立点となしてしまっている。このような状況は、一般常識ではとうてい理解できないものである。


台湾意識は一種の社会的実践の問題

 李登輝総統はこの問題について、非常に早くから堅固で十分な定見を持ち、それを政策を通し全体的なものとして展開してきた。彼の認識しているところとは、「台湾における中華民国」という厳然たる事実の上に屹立することである。中華民国は主権の独立した国家であり、一九一二年以来存在してきたことは、まったく疑う余地のない歴史的事実である。そして一九四九年以降、台湾の地が中華民国の生存と発展のための主要な場所となったのは、歴史によって形成された客観的な条件なのである。だから、発展を望み、強固になるのを望むなら、台湾を主体となし、台湾優先の原則を堅持しなければならないのである。李登輝総統は第一回総統直接選挙のとき、「大台湾経営、新中原樹立」を提示したが、そこには「台湾意識」の理念が含まれており、同時に行動への指針をも内在しているのである。

 「台湾意識」とは経験と精神の結合によって生まれたものであり、抽象的な政治上の言葉を積み重ねただけのものではない。「台湾意識」とは、台湾住民の長い生活における相互連帯によって生まれたものであり、それを近年において民主的な「地域社会意識」に転化発展させたのが「台湾生命共同体」の理念なのである。李登輝総統は民主改革推進の過程において、精力的に「地域社会全体の運営」を推進したが、それは民主主義の精神をこれまでの歴史のなかに注入するものであった。彼の社会改造の青写真は、「地域社会意識」を主軸として展開されたものと言ってよい。「地域社会意識」こそ旧来の地方的観念と血縁関係による出身の背景別による意識を打破し、人々の観念を民主的な社会意識に改造し、異なる背景を持つ人々が融合し共に栄える新たな社会を創造することができるのである。地域という社会の一番の基礎となっている最も小さな共同体を重視するというのは、まさに「主権在民」の理念を具現しようとしている李登輝総統の真摯な意志のあらわれなのである。

 李登輝総統はヘーゲルの提示した三段階の変化、すなわち一人の統治から一群の人の統治に移り、そして市民全体が民主社会に移行するという理念を重視している。政治改革の歴史的意義は、国民全体の意思を重視する民主社会を樹立するところにある。台湾ではいま、経済の発展と民主政治の確立を達成したあと、その社会の再構築が必要となっている。すなわちそれは、社会の最も基礎的な単位から開始し、「主権在民」の建国の理想を徹底するというものである。彼の政治理念は、国家意識とは社会意識のなかから芽生え、まず社会があって国家も存在し、そして社会とは抽象的な概念ではなく、一つひとつが具体的に存在する地域共同体によって構成されていることを、強く確信していることをあらわしている。

 このように、二千百八十万同胞においても国民全体の自由意思を尊重する民主社会樹立の志しを立てることが必要であり、そうしてこそ人々が調和のとれた地域共同体を生活圏とすることができ、閉鎖的で建設性に乏しい「出身背景別意識」を新時代の「地域社会意識」に改めることができるのである。

民主的な生命共同体

 ある非公式の場で、李登輝総統は「他人が私を異なった観念で見ていても、私自身は自分を客観的に見て、理性的な人物であると認識しており、客観的に見て理性的な社会を樹立したいと願うものである」と語ったことがある。

 主観的な抽象論を軸としてものごとを考えることに、一貫して反対してきた李登輝総統は、「新台湾人」の理念を提示したとき、客観的で理性的な規律ある発展も同時に主張した。彼は事実に基づき、「中華民国が台湾に存在していることは、歴史の進展によって形成されたものであり、そこが歴史的に否定できない特定の活動の場である」と指摘している。台独派の主張が追求している各種の「台湾民族」論、あるいは盲目的に欧米から伝わってきた「新興民族」論を振りかざす論法や、さらにかつて台湾を統治したことのない中共がよりどころとしている、大中国「民族主義」による「台湾(中華民国)は中国(中華人民共和国)の一部」とする論などは、いずれも虚構で非現実的な民族概念より導き出された誤った理論である。

 かれらが「台湾民族」というものを肯定するにしても否定するにしても、それらは事実を反映したものではなく、また現実的な根拠に欠けるものである。同時に、それらは歴史の進展による結果を無視したものであり、結局は自己の思いとは違った方向にながされた、抽象論的な空洞の産物にすぎず、しかも危険な傾向を孕んだものなのである。フランクフルト学派の哲学者アドヌォは、「民族の概念を高く評価しすぎると、それは破壊性を含んだものともなり得る」と批判している。つまり前述のかれらの意見は、実際の生活から生み出されたものではないのである。

 「民族国家」の樹立を追求する発想は、十八世紀から第二次世界大戦終結までの特定の歴史的条件のなかで世界的に見られたが、そうした「民族国家」追求の理念は、二十世紀末の民主台湾においては、時代を誤った一種の復古調的な論法にすぎないのである。今日の世界に見られる「民族主義」あるいは「民族国家主義」は、ポスト冷戦時代の世界平和にとって最大の脅威の一つと見なされており、同時にそれぞれの国の安定的な発展にも不利益になるものである。たとえばユーゴスラビアの「民族国家主義」は社会の対立を解消できなかったばかりか、民衆に甚大な被害をもたらした。これなどは典型的な例といえよう。

 民主主義は世界の潮流となっており、中華民国はすでに民主改革を経て正真正銘の民主国家となり、すでにこれに勝るいかなる説得力もないだろう。それなのにどうして中華民国がわざわざ二百年も前、あるいは半世紀前の古い発想に立ち戻らなければならないのだろうか。中華民国が古い時代より受け継いだ問題点は、すでにこの十年来の民主改革における「静かなる革命」のなかで解決しているのだ。同時にそれは、「静かなる革命」が「脱植民地化」を唱える「台湾民族運動」などより効果的で、台湾の歴史の論理にも合っていることを証明するものともなっているのだ。

 これをひとことで言えば、「中華民国の全国民のアイデンティティにとって必要なのは民主主義であり、民族主義ではない」ということである。

 「新台湾人」の理念は形式的にも内容的にも、「民族主義」や「民族国家主義」などとは大いに異なり、「新台湾人」というのは民主社会において公民意識を持った国民の総称なのである。民主社会が高度に成熟している米国に、荒唐無稽な「米国民族主義」などの観念が存在しないように、今日の台湾は「台湾民族主義」や「新興民族主義」を唱える必要性などまったくなく、もちろん中共の唱える大中国「民族主義」に付和雷同する理由もまったくないのである。それとは逆に、台湾の二千百八十万人には「アメリカ人」の概念と同じ「新台湾人」の概念をもって、一人ひとりが開放的で多元的な社会の構成員となることが必要なのである。それらの一人ひとりが民主生活に対する一致したアイデンティティのもとにこの地において生活することが肝要なのであって、その社会はあちこちの省籍や血縁的な関係で結合した社会などであってはならないのである。

国民全員で台湾経験を創造

 こうした観念から、李登輝総統は省籍や血縁的関係による社会的要素を、「新台湾人」という構造のなかに融合してしまおうと決意したわけである。同時に社会的に実践する「実行者」としての角度から、真実の台湾史を見直そうとしたのである。まさにこれは、ドイツの哲学者ヤスパースの言う「われわれは歴史上に発生したことを知るだけでなく、その歴史を理解することが必要だ。そうしてこそ、われわれの国の道徳と政治状況を明確に見ることができるのだ」ということを実践しているのである。このことから、李登輝総統は台湾のそれぞれの段階における歴史の過程とその時代の推進力について、植民地時代の経験も含み、批判もすれば感情論を超越した評価もしている。なぜなら、それらのすべてが台湾を構成してきた要素となっているからだ。その原動力となった根源を否定したり誤解したりしていたのでは、台湾というこの地において何が各時代において発展してきた主体となったかの全体的な像を掌握できなくなり、そこにどのような論法を立てようとも、結局それは砂上の楼閣となってしまうのだ。

「オランダは一六二六年から一六六二年までの台湾統治期間中に、多くのものを残した」
「清朝の劉銘伝による台湾の建設は、その功績を評価しなければならない」
「日本統治時代、第四代と第五代の総督になってから、台湾の経営が始まった」
「台湾の今日における実力と成果は、決して奇跡などではなく、国民全体が実際に実務を重んじ、勤倹と団結という事業への心構えと生活姿勢、さらにとどまることのない強烈な向上心によって懸命に打ち立ててきたものである」

 「台湾民族」や「新興民族」とは異なる「新台湾人」とは、複雑な人類学のなかに新たに設定したものなどではなく、二千百八十万人の台湾における現実の生活を見つめ、精神の改革や意識の更新、さらに思想の変化など歴史的な活動を経て生じたものなのである。李登輝総統は台湾光復五十一周年テレビ談話において、とくに「心の改革の実践」を提議し、「人」を出発点とした教育改革、行政革新、社会改造、文化の向上などの政策を実行し、健全な社会構造を樹立し、社会正義を奨励し、社会倫理を打ち立て、それの最終目標として思いやりが満ち調和のとれた社会を確立することを求めた。

 「国民の心理面における覚醒をうながし、この土地に対する責任感を生み出し、共同の福祉のために努力する精神と意志を凝集する」ことが、すなわち「新台湾人」としての行いの定義なのである。李登輝総統はさらに新約聖書の「ガラテヤ書」と「コリント人への手紙」のなかに出てくるパウロの言葉である「わたしはすでにキリストとともに十字架にかけられ、今あるのはわたしではなく、キリストがわたしのなかに生きつづけている」という言葉と、「もし人がキリストのなかに生きれば、その人は新たに生まれた人であり、過去は過ぎ去り、すべてが新しくなるのだ」という一節を引用し、新たな地域社会を創造することは新たな人間を創造することであるとの比喩とした。

 客観的な事実から形成されたのが、すなわち「新台湾人」の理念なのである。李登輝総統は、台湾に先に移民したか後から移住したかということを「台湾人」として判別する基準にすることの融通のなさに異議を唱え、アイデンティティと台湾の地で育ったこと、ならびに台湾優先の意志のあることを、「新台湾人」の定義としている。この理念は、台湾の住民は盲目的に一つの集合体にならなければならないというような、非理性的な発想とは異なるものである。したがって先住民の人たちや明・清時代に大陸から渡来した人々も、それに一九四九年に政府の台湾移転にしたがって台湾海峡を渡ってきた軍民同胞も、すべてがこの地において理想的な家庭を育もうとし、生活目標のなかに主観と理性を持ち、融和を通して逐次形成されてきたのが「新台湾人意識」なのである。台湾というこの地においてそれらの人々が実践してきたおこないは、すでに台湾とは密接不可分のものとなっているのである。そこに形成された「新台湾人」の意識とは、決して他動的な宿命などではないのである。

みんながすべて台湾人

 自由意思を持ち、各自が尊厳を持った人々によって構成された「新台湾人」の概念とは、人口の比例がその基盤となるものではない。現在、台湾で生活している二千百八十万人のうちで主なグループは(門+虫)南人で、外省人、客家人、先住民は合計しても四割にも満たない。しかし、「みんながすべて台湾人」という「新台湾人」の理念から言えば、人口の多数を占めているグループが「民族」の概念の主体を構成するというのではなく、すべてが一律に平等な公民としてのグループとなるのである。人口比率の比較的少ないグループが「新台湾人」の概念を持ったとき、それは台湾にとっていっそう不可欠なメンバーとなるのである。なぜなら、台湾の社会はすべてがそれぞれに異なるグループとしての背景を持った公民によって構成された多元的社会であり、そこにおける「新台湾人」の理念とは奥が深く、活力に富んだものであるからだ。

 総統選挙が終わった一九九六年の年末、「国家発展会議」が広範囲の人々によって開かれ、与野党が省政府組織簡素化のコンセンサスを得て、翌年七月の国民大会で省長と省議員の選挙を凍結する簡素化案がとどこおりなく採択された。一九九八年末には、「省政府の機能と組織調整暫定条例」が立法院を通過した。この行政効率向上のための「政府再生」運動は同時に、中共の主張する「台湾(中華民国)は中国(中華人民共和国)の一省である」という大中国意識による虚構を打破し、中華民国の実際の所在地である台湾の主体的地位をいっそう明確にするものとなった。

 省の簡素化を進めるなかにおいて、いくらかの偏った反対意見も見られたものだったが、討論の過程ではさらに多くの「台湾を主体」とした角度からの意見が出され、それは歴史的に大きな意義を有した作業となった。

 一つの虚構が終焉を告げ、本来あるべき姿に戻ったとき、人々もまた自己の真の姿と虚姿との区別を認識するものである。

主権者としての責任感を確立する

 「台湾意識」とは移民社会の無力な郷愁などではなく、実際の生活経験からの社会的家族意識であり、人々にあるじとしての責任感と創造力をもって将来に進むことを呼びかけるものである。

 さらに「新台湾人主義」は「差別化した意識を排除する」という厳粛な観念をも包括するものである。旧来の政治思想は先入観をもって先住民グループやその他の文化の価値観を歪曲し、実際に存在しない「差別化した意識」を先住民グループ全体にかぶせてきた。一九九四年に李登輝総統は屏東で開催された「原住民文化会議」で、はじめて過去の政府の公用語句であった「山地同胞」に代わって「原住民」という名称を使ったが、それは彼みずからが、異なるグループが互いに助けあい、協調しあって豊かな多元的社会を築こうと人々に呼びかけるものであった。一九九八年には、李登輝総統は総統府でタイヤル族の顔に入れ墨のある老人と会見し、先住民の伝統的文化を尊重していることを伝えた。こうしたことやその他の多くの自然的な行動を通して、李登輝総統は「差別」されていた先住民の身分と地位を平常に戻していったのである。

 今日の台湾社会で、とくに近年来重視され討論の対象となってきたもう一つの課題に、いわゆる「本省人対外省人」という出身母体意識の問題がある。その原因は「二・二八事件」がもたらした深刻な双方の対立意識によって構築された社会意識にある。一部の人々は「二・二八事件」がもたらした歴史的悲劇の責任をことさらに拡大し、すべての外省籍の人、それにその子弟にもかぶせてきた。このことと数十年来の権威体制下における政治的不平等とは無関係のものでないとはいうものの、この十年来の民主改革の洗礼を受けてもなお、この種の見方はまだわずかながら残っている。早くから政府を代表して「二・二八事件」に関して全国民に謝罪した李登輝総統は、一再ならず国民に愛情と寛容の精神をもって悲惨な陰影から抜け出し、かたくなな心を氷解し、それぞれの出身背景を持った人々が融合しあい、そして事件を歴史の反省と今後への参考材料を提供する教訓にしようと呼びかけてきたのである。

 李登輝総統が「二二八紀念碑」に祈願したのは、消極的な悲愴感をあらわすものではなく、われわれの社会全体が精神を新たにし、人格復活の起点とすることであった。「二二八紀念碑」は一種の歴史的警鐘を鳴らすものであり、時に応じてわれわれに歴史的悲劇を思い起こさせ、また時に応じてわれわれに出身の背景別によって分類することを戒め、ともに痛みを分かちあい、ともに喜びを分けあって、心を大きく開き、穏健に進み、共同で大台湾を運営し、禍福をともにする生命共同体を創造しようと呼びかけるものである。いま台湾の前途には、それぞれの出身者がともに栄える新時代が広がっているのである。

 こうした健全な国民的関係を認識してこそ、人々は台湾発展の歴史的過程において、いずれが先に来ていずれが後から来たかなどということとは関係なく、すべての出身者が移住民の子孫として、いずれもが台湾の歴史のなかに同様に重要な位置を占めていることを、冷静に認めあうことができるのである。

多様な長所を集めた生活の場所

 実際において、台湾の歴史は移住民と植民者によって積み上げられてきたものである。

 台湾は海上に孤立し、開発の困難な地であったとはいえ、南島語系の先住民が早くからこの地に移民し、絢爛たる文化を築いていた。明朝と清朝時代には、大陸沿岸の人々がぞくぞくと危険を冒して海峡をわたり、台湾を開墾し、台湾発展の基礎を築いた。一九四九年には大陸の山河に変動が発生し、多くの軍人、民間人の同胞が政府とともに台湾にいたり、台湾発展のための多元的な力となった。

 この一方、およそ三百年間における鄭氏政権や清朝など中国大陸政権による開拓と、オランダ、スペイン、日本の植民地統治によって、台湾の文化は早くから世界的な多様性を凝集しながら発展してきたのである。日本の五十年にわたる統治によって、台湾は間接的に欧米近代文明を吸収し、中国大陸にさきんじて二十世紀の世界文明のなかに入っていった。その後の半世紀において、台湾はなおいっそうの西側民主社会との緊密な結びつきにより、その薫陶を直接的に受けたのである。植民地としての歴史的過程で各地から移民があるのは如何ともしがたいことだが、はからずもそれによって台湾文化が多くのものを兼ね、包容し、かつ蓄積しながら世界に向かうという結果を生んだのである。

「台湾にもとより歴史はなかった。オランダ人がこれを拓き、鄭氏政権がこれを作り、清朝がこれを経営し、資源を開発して活用できるようにした。そこにわれわれの大業を成す基礎があるのだ」

「台湾は海上に浮かぶ荒れた島であった。柴で造った車とぼろ着で山野を切り拓き、今日にいたりそれを頼りにしている。海運が通じてより、西方の力が東方に進出し、その機運は盛んで、阻止することはできなかった」

 今日、台湾というこの土地でともに生活して成長し、損得も禍福も分けあった人々が、すべてこれらの起伏に富んだ歴史によって結ばれた「台湾人」なのであって、同時に真に台湾の主人なのである。われわれは台湾の過去のすべてに対し、放棄することのできない継承すべき義務を負っており、台湾の将来に対しても、なおいっそう強く共同の責任を負っているのである。台湾のさらに大きな発展を切り拓くことは、地理的条件や血縁的関係による定義を打破した「新台湾人」一人ひとりの、他に転嫁できない使命なのである。

 この半世紀以来、台湾は世界が羨望する経済と政治の発展的成就を完遂し、第一段階における「台湾経験」を打ち立てた。この十年にわたる民主改革は、紆余曲折を経ながらも、最後にはさまざまな歴史的残映である諸問題を解決し、国家はいままさに確固たる基礎の上に、第二段階における「台湾経験」に向かって邁進しようとしているのである。「現在わが国はまさに非情なる歴史から脱却し、ともに手を取りあい心を一つにし、それぞれの背景を持った者が完全に融合し、大台湾を経営し、新中原を樹立し、もって新機運の歴史を開拓する好機なのである」。中華民国が順調に新たな局面への発展を切り拓き、次の世紀において一流国家の列に加わっているかどうかは、凝集されつつある「新台湾人」の意識をいっそう高め、国家の発展に活気の満ちた新鋭の力を注入できるかどうかにかかっているのである。

 ここにおいて、「国民の台湾意識は強ければ強いほどよい」と指摘できるのである。またここにおいて、われわれは「台湾を主体とした奮闘の精神」を確立しなければならないとも指摘できるのである。

 社会の主流的世論となる意識がすでに変化したことは、一九九六年に李登輝総統が五四%の得票率を得て最初の直選総統に当選したことが如実に示していよう。これだけもの支持があったということは、李登輝総統の政治理念が、すでに従来の政党の限界を超越したものであることを示していよう。

理に適った台湾意識の構築

 「台湾意識」を出発点とした政策とは、民意の支持のもとに一つひとつ積み上げられていくものである。

 身分証には従来の「本籍」に代わって「出生地」が記載され、その人の生活している地域があらわされるようになり、すでに遠くに離れた原籍というものに代わって、現実のアイデンティティに完全に符合するものになっている。 小・中学校では、母語の教育と台湾を認識するための過程が増えたが、これは偏向した歴史を是正するための必要な措置であった。今後「郷土の文化を重視し、学童に自己の育った土地を認識させ、郷土に関連するすべてを理解させ、郷土に対する愛情と責任感を育むことが必要である」。李登輝総統は日本の作家の司馬遼太郎氏に、台湾では「いま郷土の教育が多くなってきました。台湾の歴史、台湾の地理、それから自分のルーツなどをもっと国民学校の教育に入れろといってるんです。台湾のことを教えずに大陸のことばかり覚えさせるなんて、ばかげた教育でした」と明言した。ドイツは第二次世界大戦後に再復興を遂げたが、そこに小・中学校の教師たちが郷土教育を強化して貢献したことが、李登輝総統に強い印象を与えている。しかし、きわめて一部の人がいまだに非現実的な過去の歴史観によって、台湾を主体とした歴史の正しい解釈に抵抗している。

 以上のような措置は、少数の人々が誤解しているような、いわゆる盲目的に台湾本土文化を崇拝するというようなものでは決してなく、過去長期間にわたって軽視されてきた台湾本土の文化に、理に適った修正を加えるというものであり、その最終的目標は、多元的なものが併存する近代的文化の環境を構築するところにあるのだ。

必要な主人としての尊厳

 「新台湾人」によって構成される台湾を主体とした新たな社会は、民主・自由・多元的の構造のもとにおいて将来どのような社会的実践が必要とされているのだろうか。

 最近一、二年間、民主改革によって確定された新秩序は逐次安定化し、民主政治の推進は確固たるものとなり、李登輝総統の施政の重点は公正と正義に満ちた社会の確立に向かっている。彼は強力かつ効果的に国政を指導するとともに、積極的に社会の基層部分にも入っていき、老人、子供、退役老軍人、労働者、農漁民、先住民、身体障害者などの社会的弱者に注意を向け、行政部門に早急に対策を立てそれらの生活状況を改善するよう要求している。

 李登輝総統の観念が、社会福祉や純経済問題の次元にとどまっているものでないことは明らかである。

 民主改革で「主権在民」の政治理念を実現したあと、政治的に出身地別やその他の階層による分類とは無関係にすべてが等しく国家の主人としての地位を共有し、すでに後戻りできない社会を実現した。しかし社会の片隅においては、まだ多くの人々が第一段階における台湾経験の成果を享受せず、経済面のほかに社会的身分も民主政治のもとの公民としてふさわしい待遇を受けていない。李登輝総統は台湾の二十一世紀の青写真を描くにあたり、すべての国民がひとしく生活の安定と尊厳を得られるようにすることを要求している。

 今日の台湾は、歴史的な流れと現実的な必要性の相互影響のもとに資本主義的な経済体系をとり、すでに必然的な発展の趨勢を確保している。だがそこに見る経験は、もし社会に十分な公平と正義が欠けていたなら、資本主義の運営は政治面と社会面においてマイナス的影響を及ぼす可能性がきわめて高く、とくに資本の集中という現象が民主政治のもとにおける個人の平等という尊厳をそこなう危険性をも持っていることを示している。

「一方に最も近代的な高層ビル群が立ちならび、その一方にスラム街が立ちながれている。こうした都市の姿は、まったくアンバランスなものである。政府当局者はこうした状況を見つめ、反省の材料としなければならない」

 李登輝総統は現実的に「わが国の経済制度は、市場を中心としたものであり、すなわち資本主義の経済である。この制度はきわめて容易に多くの問題が発生するものである」と述べている。この言葉のなかに、彼の社会的弱者に気を配る意識の根源が見られる。要するに公平と正義は絶対に完遂しなければならないのであって、なぜならそれが「人間の尊厳」にかかわっているからである。

 「つぎの時代の台湾はどのように進まねばならないか」とは、高度な国家発展戦略の意味を持った課題である。若いときに人道主義や社会主義など、いわゆる左翼思想というものにひかれた李登輝総統は、「人の尊厳と平等」という問題に早くから目覚めていたのである。執政より十年、彼の念頭にある国家発展の方向はここに示されているのである。

新台湾人主義こそ結論

 約四年半前、李登輝総統の提示した「台湾人に生まれた悲哀」という談話が、国内の一部の人の誤解を受けたり中共のヒステリックな攻撃の対象にされたりした。しかし、李登輝総統は「台湾人として生まれ、台湾のために何もできない悲哀」を深く考え、さらに多くの台湾住民の共鳴を得ることを望んだ。こうした台湾の歴史の真相を正視しようとする姿勢は、台湾のすべての住民に歴史の記憶を改めて想起させるところとなった。

 「旧約聖書」の「出エジプト記」に、モーゼがイスラエル人を率いてエジプト人の統治から脱出し、シナイ半島の広野に入り、神から戒律を賜り、そして神と約束し、新たな社会を樹立する歴史的行動に入ったことが記載されている。李登輝総統は台湾史をグローバルに見る視野に立ち、深い意味をこめて司馬遼太郎氏にこの聖書の故事を話したのである。ここで意外なのは、国内のいくらかの人と中共側から、台独を鼓吹するものだと無理やりにこじつけた声が上がり、「彼は聖書のなかにある、イスラエル人を率いてエジプトを脱し、新たな国を建設したモーゼに、みずからをなぞらえようとしている」と悪意に満ちた批判の声が聞かれたことである。

 これらの人々はいずれもマジックミラーを通して事物をながめる誤りを犯しており、「出エジプト記」の意義をまったく理解していないのである。実際において、「出エジプト記」の核心になる思想は、前段部分のエジプト人の統治から脱出するところの記述にあるのではなく、イスラエル人がその地の主人となり、主体的な観念をもって前向きな文化を構築しようとする実践的な過程を記述した後段部分におかれているのである。その部分こそ、今日の「新台湾人」が置かれている境遇と酷似しているのである。

 歴史はすでに「新台湾人」が提示した歴史的課題に向かって進んでおり、それぞれ異なる段階に台湾に移民してきた先人たちの理想をわれわれが完成し、新たな発想と新たな活力をもって、共同でこの先人の拓いた土地を受け継ぎ、公平と正義に満ち、調和のとれた美しい社会を確立することを要求しているのである。

「したがって、われわれ二千百八十万同胞は、出身の背景によって分かたず、いずれが先に来たかいずれが後から来たかにかかわりなく、すべてがこの土地に暮らしていることを認識し、この土地のすべての住民が、それぞれに手を取り合い、心を一つにし、一致団結し、一人ひとりの力を結合して総合的な力を発揮すべきことを認識しなければならないのである。そうしてこそ、悲哀の歴史から脱出し、新たな希望に向かい、新世紀に向かって邁進できるのである」

 だからここに、「新台湾人主義」とはわれわれの共同の結論であると言えるのである。                   

(中華週報1893号付録)