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  「八二三砲戦」から60年、「エスニックグループ融和」の意義も - 台北駐日経済文化代表処 Taipei Economic and Cultural Representative Office in Japan :::
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「八二三砲戦」から60年、「エスニックグループ融和」の意義も

「八二三砲戦」から60年、「エスニックグループ融和」の意義も

「八二三砲戦」から60年、「エスニックグループ融和」の意義も

 「八二三砲戦」は1958年8月に離島の金門県と中国大陸側の間で始まった砲撃戦のこと。今年は「八二三砲戦」から60年の節目の年であることから、国防部(日本の防衛省に相当)は盛大な記念行事を計画、当時「八二三砲戦」で戦った元兵士たち、並びにその親族600人近くを招いて金門のかつての戦場を巡礼することにしている。国防部の厳徳発部長(大臣)は23日、関係者を率いて太武山共同墓地を訪れ、犠牲となった烈士たちを追悼した他、当時、工兵が太武山に穴を掘って作った地中のホール、「擎天庁」で記念式典を催した。

 1958年8月23日午後、金門島は不穏な空気に包まれていた。そして陸軍金門防衛指揮部の歴史資料によれば、午後6時半ごろ、対岸から放たれた砲弾が空から降ってきたことで「第二次台湾海峡クライシス」と呼ばれる「八二三砲戦」が始まった。わずか2時間で4万発を超える砲弾が撃ち込まれ、金門では大量の兵士が死傷。当時、陸軍金門防衛司令部(現・陸軍金門防衛指揮部)で副司令官を務めていた趙家驤氏、章傑氏、吉星文氏も戦死した。

 「戦いは指揮が頼り。指揮は通信が頼り」という言葉は21世紀の今日となっても、軍が鉄則とするところ。「八二三砲戦」では砲弾が雨あられと降っていようが、通信施設が破損したならば担当の兵士たちは砲火をかいくぐって通信ルートの復旧に向かった。命の危険は言葉で表せないほどだったという。

 1958年に起きた「八二三砲戦」に参加した元兵士たちはみなすでに晩年を迎えている。元兵士の葛傑仁さんは94歳。当時は「防空情報雷達(防空情報レーダー)」小隊長を務めており、良好な指揮通信の確保が任務だった。戦時中、葛さんは「死ぬのは当然」という気持ちで戦っていて恐れることなどなかったが、夜中にはいつも戦闘が始まった時の心境を思い出す。その心境とは、「前を向いたところで前途は見えず、自分の後ろには子孫もいない。左右に頼るものもない」というもので、葛さんは死を覚悟した上で戦っていた。

 葛さんによれば、砲撃戦が始まった当初、安全に身を隠せる場所は無かった。加えて中共人民解放軍の砲撃はしばしばレーダーやアンテナ、ケーブルを丸ごと破壊した。砲撃されている間、兵士たちは皆、トーチカや地下に隠れることになるが、戦時に通信が出来ないことなどあってはならず、通信作業兵は砲弾の雨の中、必死で設備の復旧作業にあたった。このため作業班を1つ送り出すと、往々にして半数の兵士しか帰ってこなかったという。また、通信作業兵が砲撃に吹っ飛んで戦死するシーンをトーチカの中から直接目にし、涙に暮れる兵士もいた。葛さんと同じ基地にいた士官長も砲撃によって戦死し、今では台湾北部・台北市の大直にある忠烈祠に祀られている。葛さんは忠烈祠を参拝するたびに、戦闘に関する様々な記憶が生々しく甦るのだという。

 台湾中部・南投県の作家、簡明雪さんの父親、簡木桂さんは29歳の時に徴兵されて「八二三砲戦」に加わった。簡木桂さんは幸い命を落とすことなく、戦死した兵士4人の遺灰と共に戻ってきた。小さかった簡明雪さんは父親が遺灰を持って帰ってきたことに衝撃を受けたという。簡明雪さんは近年、元兵士やその家族11人を訪ね、『老兵不死(老兵は死なず)』という作品を書き上げた。「八二三砲戦」の前線に夫や息子が送られて音信不通となり、不安な日々を送った家族の当時の気持ちを描いている。

 簡明雪さんによれば、砲撃戦が始まって離島との間の郵便が正常に届かなくなる一方、前線からは兵士の死傷に関する知らせがたびたび伝わり、母親は心配でたまらなかった。そして金門から南投県に復員してきた人がいると聞くと、遠い場所であろうが自転車で出かけ、夫についてたずねて回ったという。当時、戦死の場合、軍は戦死した兵士の腕時計や頭髪などの遺品を家に送って来た。兵士の家族たちは、この小包が届くのをいつも怖がっていた。

 「八二三砲戦」が終わり、父親は無事復員。戦友4人の遺灰を持ち帰った。簡明雪さんによると、父親は同じ船で金門に向かった7人の兵士との間で、「生き残った者が戦死した者の遺骨を台湾本島に持ち帰る」という約束を交わしていた。結局、約束が現実のものとなってしまい、父親は4人の遺灰を南投県の竹山鎮や台湾東部の花蓮県へと送り届けた。それぞれ地元の役場は学生を動員、大勢の人が道路の両脇に並んで「烈士」の帰還を出迎えたという。

 「八二三砲戦」は国民政府が中国大陸から台湾に移って以降、台湾海峡両岸間で起きた最後の大規模な軍事衝突。そしてより大きな特色として、国民政府と共に中国大陸から台湾にやって来た「外省人」と、それ以前から台湾で暮らしていた「本省人」が初めて力を合わせて強敵に立ち向かい、勝利した戦いだったことが挙げられる。近年、政治家たちが強く呼びかけている「エスニックグループの融和」に対しても深い意義を持つのである。

Taiwan Today:2018年8月23日

写真提供:中央社
 「八二三砲戦」から60年となる23日、国防部の厳徳発部長は戦死者たちを追悼した他、当時工兵たちが太武山を掘って建設した地中のホール、「擎天庁」で記念式典を催した(写真)。「八二三砲戦」が「エスニックグループ融和」に対して持つ意義は深いという。