頼清徳
中華民国総統
家庭及び教育背景
1959年、新北市万里で炭鉱労働者の家庭に生まれた。早くに父親を亡くし、母親が一家の生計を支えた。母親から言われた「不可能なことなどない。逆境を乗り越える道は必ずある」の言葉を教訓とし、信念さえあれば必ず苦境を脱することができると信じてきた。
台北市建国高校、台湾大学リハビリ学科、成功大学医学部への学士編入を経て、米ハーバード大学で公衆衛生の修士号を取得。リハビリ、臨床医学、公衆衛生の3つの専門分野に長けた台湾でも稀な医師となる。
政治経歴
1994年、成功大学病院のチーフレジデントだったとき、民主進歩党(以下、民進党)の台湾省長候補である陳定南氏の台南医師後援会会長を務め、政治活動に参加するようになった。1996年の台湾海峡ミサイル危機の際、医者から政治家への転身を決め、台南市で最多の票を獲得して国民大会代表となり、台湾省凍結を含む憲法増修条文の改正を行った。
1998年には台南市選出の立法委員(国会議員)に当選。社会福利及衛生環境委員会に所属しながら、10万件を超える有権者からの相談に応じた。その専門性の高い政治への取り組みと地に足の着いた働きぶりが有権者に評価され、4期連続で立法委員に選出された。立法委員在任中は民進党団幹事長や厚生会会長などを務め、公民監督国会聯盟が実施した議員評価では何度も1位に選ばれた。また、何度も訪問団を率いて海外へ出向いては国会外交を推進したり、台湾のWHO(世界保健機関)加盟を訴えるなどした。2004年には米国務省が実施するインターナショナル・ビジター・リーダーシップ・プログラムに参加した。
2010年に台南市が台南県と合併して直轄市に昇格すると、その初代市長に当選。その政治は誠実、勤勉、効率が良いことで知られ、台南に新たな風を吹き込んだ。2014年の台南市長選挙では、戒厳令解除後の県・市長選挙としては最高となる得票率72.9%を獲得して再選された。市長在任中に行われた県・市長の満足度調査では、何度も「5つ星」の評価を獲得。積極的に都市外交を展開し、米ワシントンを2度訪問し、著名なシンクタンクで英語の演説を行った。
2017年には行政院長(首相)に就任し、実務的な内閣を作り、賃上げ、減税、投資環境の改善を推進すると同時に、蔡英文総統から託された7つの任務、及び居住の安心と雇用の安定、持続可能性の促進、都市と地方のバランスのとれた発展の実現という3つのビジョンを実現した。2019年11月、蔡英文総統とペアを組み、第15代正副総統選挙に副総統候補として出馬し、蔡英文総統の高得票による再選と国会での民進党の過半数確保を助け、史上最高の817万票を獲得して勝利した。
2020年5月、副総統に就任。2023年1月、民進党主席を兼任し、同年4月に総統候補者指名を獲得した。2024年1月に第16代総統に当選。台湾で総統の直接選挙が始まって以来、8年おきに政権交代が行われていた慣例を初めて破ったほか、副総統が総統選挙に出馬して当選した初めてのケースとなった。
施政理念
民主的で平和な台湾
「中華民国(台湾)」と「4つの堅持」によって社会のコンセンサスを確立する。
「民主主義と平和のための四大支柱」のアクションプランを掲げ、現状維持に取り組み、台湾海峡の平和を追求するという台湾の決意を世界に示す。
イノベーティブで繁栄した台湾
イノベーション駆動型の経済成長:次世代のための投資を行い、産業、技術、起業のためのイノベーションを促進し、台湾を起業と就労に適した活気に満ちた拠点にする。
包括的な経済成長:最先端のハイテク産業群を発展させ、地方創生を支持し、地方産業と「隠れたチャンピオン」への協力を通して多様な雇用機会を創出し、誰もが繁栄の成果を享受できるようにする。
グリーン成長の新戦略:再生可能エネルギーの研究・開発を拡大し、情報通信技術産業で台湾が持つ強みを活かし、省エネ、エネルギー貯蔵、ネット・ゼロ関連技術を活用して第二次エネルギー転換を創造する。
公正で持続可能な台湾
労働者の権利の保障やジェンダー平等の実践、それに育児、長期介護、居住の権利などを含む分野での社会的責任投資の拡大により、社会正義を促進する。また、2050年ネット・ゼロの目標達成のために努力する。
【外交部 2024年5月20日】